幻の御堂筋シリーズ

あと一歩で再現

 今年の日本シリーズの関西ダービーは昭和39年以来だったが、昭和48年もあと一歩でその再現となるところだった。パ・リーグはこの年から優勝決定シリーズ(プレーオフ)を実施。前期は南海が優勝、後期は阪急が制し、プレーオフでどちらが勝つにせよ、パ・リーグは関西の球団が日本シリーズに進出することが決まっていた。

三つ巴の戦い

 セ・リーグは8連覇中の巨人、御堂筋シリーズの年以来、リーグ優勝から遠ざかっていた阪神、昭和29年以来のリーグ制覇を狙う中日がシーズン終盤まで三つ巴の戦いを繰り広げていた。阪神が10月5日から甲子園で行われた中日との3連戦で3タテし、まず中日が優勝戦線から脱落した。

引き分けで優勝

 10月10日から始まった後楽園での巨人−阪神の首位攻防2連戦。阪神は第1ラウンドを田淵幸一の逆転満塁弾などで6-5で先勝し、巨人にゲーム差なしの1厘差で、8月30日以来の首位に返り咲いた。第2ラウンド、阪神は前日に救援で4回(無失点)を投げ、勝利投手になっていた江夏豊が先発。ニ回終了時で7-0と大差をつけたが、江夏は3回1/3・4自責点で降板。大量リードを守りきれず10-10の引き分け。同月14日は巨人と阪神ともに負け、ゲーム差は変わらず。翌日阪神は広島との最終戦を江夏の完投で制し、巨人とのゲーム差は0.5に。この時点で巨人・阪神ともに残り2試合で、阪神は1勝すればリーグ制覇。さらに阪神に追い風が吹いた。巨人は同月16日のヤクルト最終戦を落とし、阪神はいずれかの試合に引き分ければ優勝が決まった。覇権を手に入れたも同然だった。

「勝ってくれるな」発言

 阪神にとって129試合目となる10月20日の中日最終戦。事件が起きたのはその前日だった。阪神電鉄本社に呼び出された江夏は、長田睦夫球団代表と鈴木一男常務(肩書は共に当時)が待つ部屋に通され、「勝ってくれるな」と言われたと、『なぜ阪神は勝てないのか?』(岡田彰布・現阪神監督との共著)の中で述べている。さらに長田代表から「金田正泰監督も了解しているから」という驚愕の事実も告げられた。江夏はその理由を「勝てば選手の年俸はアップするし、金がかかるからな。優勝争いの2位が一番理想やったんやろうな」と推測している。怒り心頭の江夏はテーブルをひっくり返して帰ってきた、と続けている。それから名古屋入りした江夏は「先発は明日や」と伝えられたという。

相性が良くない中日に苦杯

 「当時、(上田)次朗は中日に8勝していて分がよかったのよ。私は3勝くらいで特に中日球場では勝ってなくて、あまり相性はよくなかった」(同書)。江夏は中4日で先発のマウンドに上がった。「本社の〈勝たんでくれ〉なんて言葉は無視やし頭にもない」(同書)状態だったが、6回3自責点で中日に苦杯を喫する。

雌雄を決する直接対決

 ペナントの行方は両チームにとってシーズン最終戦となる直接対決に持ち越された。先発は阪神が上田、巨人が高橋一三。シーズン22勝を挙げていた同士の対決となったが、上田は1回4自責点で早々と降板したのに対して、高橋一は完封。雌雄を決する’’伝統の一戦’’は0-9と阪神の完敗で終わった。

暴徒と化した虎ファン

 阪神ファンらは0-8となったラッキーセブンあたりから、優勝に備えて用意したテープや紙吹雪を投げて荒れ始めた。「試合終了と同時に、一塁側スタンドの阪神ファンが、ベンチに引き揚げる巨人選手目がけて一斉にグランドに乱入した。その数ざっと三千人」(昭和48年10月23日付朝日新聞)。そのうちの一部は三塁側スタンドで巨人応援団に殴りかかり、五百人ほどがネット裏の放送席へ押し寄せ、テレビ局のマイクを壊し、コードを引きちぎった。「この騒ぎで森捕手や王一塁手ら数人が殴られた」(同)と報じられた。金田監督は「情けない試合をして申し訳ありません。いまの気持ちは、みなさんと同じくらい泣きたいのです」(同)と心情を語った。

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