松山晋也、戦線離脱

右尺骨肘頭疲労骨折と発表
 最多セーブ投手賞に2度輝いたライデル・マルティネスの後継として、中日のクローザーを任されていた松山晋也が、「上肢のコンディション不良」(球団発表)で7月4日に出場選手登録を抹消された。球宴のセ・リーグの抑え部門のファン投票で、巨人に移籍したマルティネスに大差をつける53万票余りの人気を集め、1位で選出されるも出場を辞退。NPBからは右尺骨肘頭疲労骨折と発表された。

育成ドラフト1位で入団
 松山は八戸学院野辺地西高から八戸学院大学を経て、22年に育成ドラフト1位で中日に指名される。大学時代の公式戦初登板は3年秋と、遅咲きの選手だった。ルーキーイヤーの6月に支配下選手登録されると、一軍初マウンドで三者連続三振と派手なデビューを飾ると、36試合に登板。1勝1敗18HP、防御率1.27と頭角を現す。昨季は59試合に登板。6月から8月にかけて21試合連続HPを達成し、球宴にも監督選抜で初出場。2勝3敗43HP(防御率1.33)と飛躍し、最優秀中継ぎ投手のタイトルを獲得した。育成契約から球界を代表するクローザーに昇り詰めたマルチネス同様、ハングリーな経歴の持ち主だ。

獅子奮迅の働き
 今季も、6月27日に両リーグ最多となる28セーブを挙げ、チームの32勝目に貢献。昨季、チームの60勝のうち43Sを挙げたマルチネスを凌駕する獅子奮迅の働きを見せていた。井上一樹新監督のもと、3年連続最下位からの浮上を狙うチームは、この時点で3位のDeNAと広島に2ゲーム差と、CSを射程圏に入れていただけに、松山の戦線離脱はチームにとって痛手だ。

被本塁打は1本
 試合の大詰めの1点を争う場面で、マウンドに上がるクローザーの絶対的な条件として、被本塁打が少ないことが挙げられる。松山はプロ入り後、482人の打者と対戦し、被弾は5月にヤクルト・北村拓己に打たれた1本だけ。松山にとって、クローザーは天職と言えるだろう。〈打てるものなら打ってみろ〉と言わんばかりの精悍な面構えも守護神にふさわしい。

雄姿を待ち侘びる
 マルチネスは「優勝争いができるチームに行きたい」とチームを去ったが、松山とのダブルクローザーでシーズンを戦うことができれば、「天下を取れたのに……」。竜党は切歯扼腕の思いだろう。剛腕守護神の復帰には時間がかかりそうだが、中日の首脳陣もファンもその雄姿を待ち侘びている。

ソフトバンク、9度目の交流戦V

歴代最多の9度目戴冠
 今年の交流戦の優勝争いは最後まで予断を許さなかった。予備日を除いた最終日にソフトバンクが勝つか引き分ければ、ソフトバンクがV。ソフトバンクが負け、日本ハムが勝てば、日本ハムがV。結果はソフトバンクがセ・リーグ首位の阪神を下し、2019年以来、歴代最多を更新する9度目の戴冠となった。

先発が”奮投”
 優勝を支えたのは、先発投手陣の”奮投”だった。開幕カードでは、先発が3試合を無失点に抑え、中日をスイープ。レギュラーシーズンの開幕ダッシュには失敗したが、交流戦では見事に成功し、波に乗った。交流戦防御率トップタイ(0.78)の大関友久は2022年から続く自身の交流戦での連勝を6に伸ばす2勝を挙げ、優秀選手賞を受賞。同じく防御率トップのリバン・モイネロは6月6日のヤクルト戦でNPB記録にあと1つと迫る18奪三振(外国人選手では最多)。計3試合で37奪三振、奪三振率14.48をマークし、セ・リーグの打者を力でねじ伏せ、1勝をマーク。開幕投手の有原航平は、交流戦前までは防御率は4点台で2勝5敗と振るわなかったが、2勝を挙げ、防御率0.86(4位)と復調した。

安定感抜群の四本柱
 前述の3人に2勝を挙げた上沢直之を加えた4人が先発した12試合で、チームが敗れたのは2試合のみ。四本柱は抜群の安定感を見せた。チームの12勝のうち先発の勝利は9個を数え、チーム防御率2.20に対して先発の防御率は1.77。先発がきっちりと役割を果たしたので、試合を優位に運ぶことができた。

最優秀選手は柳町
 攻撃陣に関しては、チーム打率(2割5分6厘)は4位、同本塁打(10本)は6位タイも、総得点79は交流戦トップだった。打線を牽引したのは、最優秀選手に輝いた柳町達。全18試合に3番としてスタメン出場。16試合で安打(8試合で複数安打)を放ち、3割9分7厘で交流戦首位打者となった。

先を見据えた小久保采配
 小久保裕紀監督の采配も冴えた。6日のヤクルト戦でセーブに失敗したロベルト・オスナから杉山一樹をクローザーに起用。杉山は配置転換後の6試合で自責点ゼロ、1勝3S1ホールドと指揮官の期待に応えた。5月に中継ぎから配置転換した松本晴は、優勝のかかった22日の阪神戦で、先発として初白星を挙げた。不振の山川穂高をスタメンから外し、16日には登録抹消し、調整に専念させた。17日の広島戦で左足のかかとを痛めた近藤健介を、交流戦の優勝がかかる状況であったが、最後の5試合はベンチから外した。目先の利益よりも先を見据えた。