ソフトバンク リーグ3連覇

福岡では初の3連覇
 就任3年目の小久保裕紀監督が率いるソフトバンクが南海時代の1951~53年、64~66年に続く3度目のリーグ3連覇を果たした。3年連続勝率1位は王貞治監督時代の2003~05年(03~04年はダイエー)にあったが、リーグ3連覇は福岡移転後初となる。今季のソフトバンクはシーズン序盤は調子が上がらず、交流戦開始前まで貯金はわずかに1つだった。得意の交流戦では優勝こそ西武に譲ったが、14勝4敗(2位タイ)と上昇機運を醸成し、6月30日に首位に立った。それ以降は、勝率7割超というハイペースで首位を守り抜き、ペナントレースを制した(記録は9月17日現在)。

若手3投手の躍進
 昨季、有原航平、リバン・モイネロ、大関友久、上沢直之が二桁勝利を挙げたが、2年連続で14勝を挙げ、最多勝利投手賞を獲得した有原が昨オフ、日本ハムに復帰。2年連続で最優秀防御率投手賞のモイネロが3月のWBCにキューバ代表として出場した影響やコンディション不良もあり8月中旬まで登板がなかった。勝率第一位投手賞の大関は3勝4敗(防御率5.34)と昨季の横綱級の働きができなかった。苦境にあった先発陣を支えたのが、前田悠伍、大津亮介、松本晴といったキャリア初の二桁勝利を挙げた若い力だった。高卒プロ3年目の前田は開幕12連勝(防御率1.90)と先発陣を牽引した。7月は優勝を争う西武からの2勝を含む3勝(防御率0.33)と躍動し、初の月間MVPを受賞。チームの首位固めに大きく貢献した。大学から社会人野球を経て4年目の大津と大卒4年目の松本晴はともに11勝(防御率2.36、同2.91)をマーク。昨季はこの3人で貯金をつくれたのは大津だけだったが、昨季4→今季27と大幅に積み増した。チームの貯金の約7割を占め、この3人の躍進なしでは今季の優勝はなかっただろう。

強力打線の主役
 攻撃陣の最大の立役者は栗原陵矢だろう。開幕4番は柳田悠岐、その後山川穂高や近藤健介が重責を担った。シーズン序盤、小久保裕紀監督は”打線の核”に最適な人材を模索していたが、5月からは栗原を起用。その期待に応え、自己最多を更新する37本塁打、111打点(いずれもリーグトップ)をマーク。”投高打低”の近年のプロ野球でパ・リーグでは6年ぶりとなる100打点超えは特筆に値する。昨季は80試合の出場に留まり、メンタルの弱さも指摘されたが、今年から選手会長になり、地位が人をつくったのか――。山川の調子が上がらない中、昨季の総得点(551点)を大きく上回る総得点(647点)を挙げた強力打線の堂々たる主役だった。

新・リードオフマンの覚醒
 ソフトバンクのリードオフマンといえば周東佑京のイメージがあるが、7本の先頭打者弾を含む27本塁打を放ち、58打点を挙げた正木智也の覚醒も攻撃に厚みと多彩さを生み出した。昨季は17試合の出場に留まり、5年目となる今季の初出場も5月中旬と出遅れたが、初めて規定打席に到達。自己最多の24年の7本塁打から飛躍した。四球も多く選び、出塁率は3割8分5厘はレギュラーメンバーでは近藤に次ぐ高い数字だ。対戦相手からすると選球眼が良く、一発もある厄介なトップバッターだっただろう。

チームの顔が復活
 24年は52試合、昨季はレギュラー定着以降で最少の20試合と出場が激減した柳田。もうこれまでかと思われたが、37歳になった今季は119試合に出場し、リーグ3位の2割9分7厘、63打点、17本塁打と見事な復活を遂げた。かつてのチームの顔が最後のピースを埋め、他球団の羨望の的となる強力な和製クリーンアップが完成した。

チームの潜在能力の高さ
 ライバルの日本ハムには開幕から8連勝し、対戦成績は18勝5敗2分けと圧倒した。チーム本塁打はリーグトップの日本ハムより少なかったが、四球は100個以上多く、総得点は100点以上の大差をつけた。チームの失策もリーグワーストの日本ハムの81個に対し、44個はリーグ最少。チーム力の差は歴然としていた。エースがライバルチームに移籍するという危機を選手層の厚さで克服。若手・中堅・ベテランが融合し、チームの潜在能力の高さを見せつけた。

多才な鉄腕・板東英二

再試合ルールの生みの親
 プロ野球で通算77勝を挙げ、芸能界でも活躍した板東英二氏が先月、不帰の客となった。表舞台からは久しく遠ざかっていたが、訃報に接すると一抹の寂しさを禁じ得ない。真っ先に思い起こすのは、高校時代の超人的な活躍である。著書『プロ野球これだけ知ったらクビになる』に、かつて高校球界に存在した延長十八回引き分け再試合は「ぼくが作ったルールなんですわ」とある。1958(昭和33)年、四国春季大会で徳島商業のエースだった板東氏は高知商業との試合で延長十六回を投げ抜き、1-0で勝利投手になる。翌日、高松商業との試合では延長二十四回を投げ、0-1で負け投手に。2日で四十回投げたことが、問題視され再試合のルールにつながったようだ。そのルールが最初に適用されたのが板東氏だったということも因縁めいていて興味深い。その年の夏の甲子園(第40回記念大会)、伝説となった魚津(富山)との準々決勝で村椿投手と投げ合い、十八回引き分けで再試合となる。準優勝したこの大会での83奪三振はいまだに1大会での最多奪三振記録である。現在の高校野球は延長十回からタイブレーク方式になり、1人の投手が1週間に投げれる球数が500球以内という投球数制限が定められたので、この記録は破られることはないだろう。プロ入り前に鉄腕を存分に発揮した。

芸能界でも才能発揮
 引退後は野球解説者を経て、現役時代から定評のあった”トークの技術”を活かし、芸能界へと転身。バラエティー番組をメインに、押しも押されもせぬお茶の間の人気者になった。出演した高視聴率番組は枚挙にいとまがない。俳優としても、1988年公開の木下恵介監督の遺作『父』で主演。翌年の高倉健主演の映画『あ・うん』では富司純子演じる妻への「高倉の密やかな思いに気付きながらも友情を保ち続ける微妙な役柄を巧演」(『日本映画人名事典 男優篇〈下巻〉』)し、ブルーリボン賞助演男優賞、日刊スポーツ映画大賞助演男優賞、日本アカデミー賞最優秀助演男優賞などを受賞。93年の黒澤明監督の遺作『まあだだよ』やNHK連続テレビ小説に出演するなど芸能界でも多彩で豊かな才能を発揮した。

ストレートの魅力
 前述の延長十八回再試合のことでテレビのインタビューを受けた際、「技術は自分のほうが上だが、(村椿投手の)ひたむきさが印象に残った」と回想していた。板東氏が言うと、嫌みな感じがせず、その率直さが爽やかな印象を与える。野球中継のラジオ解説でも、出場機会の少ない選手が本塁打を放ち、その打撃を実況アナウンサーから聞かれて、「アウトになると思っていたので、見てなかった」。ストレートなところが板東氏の魅力であり、真骨頂だった。天国でもマルチタレントぶりを遺憾なく発揮するのだろう。