2022年の開幕投手

“熱き戦い”が始まる

野球が伝来し150年目となるメモリアルなシーズンが3月25日に開幕する。昨季はセ・リーグはヤクルト、パ・リーグはオリックスと2年連続最下位の球団がリーグ制覇し、下剋上の嵐が吹き荒れた。千勝監督・原辰徳が率いる巨人や直近10年で6度の日本一に輝いたソフトバンクは捲土重来を期す。昨季惜しくも優勝を逃し、矢野燿大監督が背水の陣で臨む阪神。球団創立年以来42年ぶりの最下位に沈んだ西武。発言や采配が注目を集める新庄剛志新監督が指揮を執る日本ハム。今季はどのようなペナントレースが繰り広げられるのだろうか。“熱き戦い”が始まる――。

セ・リーグの開幕投手

セ・リーグの開幕カードは、阪神対ヤクルト(京セラドーム)、巨人対中日(東京ドーム)、DeNA対広島(横浜)。昨季日本一に輝いたヤクルトは、リーグ優勝を激しく争った阪神と相まみえる。ヤクルトの先発は2年連続6度目の小川泰弘(自身の開幕戦の成績:1勝1敗)。有力視された奥川恭伸は29日の巨人との本拠地開幕戦の先発にまわることが発表された。阪神の先発は当初は昨季の最多勝投手・青柳晃洋に決定していたが、青柳が新型コロナウイルスの濃厚接触者の疑いが生じ、昨年に続き2度目となる藤浪晋太郎(同:勝ち負けは付いていない)に急遽白羽の矢が立ち、昨季と同じ顔合わせとなった。

V奪還を狙う巨人は5年連続8度目となる菅野智之(同:4勝2敗)。中日の立浪和義新監督は2年ぶり4度目となる大野雄大(同:1勝1敗)を指名。沢村賞投手の投げ合いとなる。昨季はともに不本意な成績に終わったエースが、リベンジをかけて開幕戦に臨む。

DeNAの三浦大輔監督はプロ入り5年目の東克樹を初の開幕投手に抜擢。ルーキーイヤーに11勝を挙げたのち、精彩を欠くサウスポーを今季の先発ローテの柱として期待する。DeNAは6年連続でサウスポーが開幕投手を務めることになる。広島は昨季、青柳と最多勝のタイトルを分け合った九里亜蓮も候補に挙がっていたが、佐々岡真司監督は大瀬良大地(同:2勝)を指名。4年連続4回目の大役となる。

パ・リーグの開幕投手

パ・リーグの開幕カードは西武対オリックス(ベルーナドーム)、楽天対ロッテ(楽天生命パーク)、ソフトバンク対日本ハム(ペイペイドーム)。昨季のパ・リーグの覇者・オリックスは昨季最多勝のタイトルを獲得した山本由伸(同:1敗)が2年連続2回目の開幕戦の先発マウンドに上がる。オリックスは2010年を最後に開幕戦の勝利から遠ざかっているが、12年ぶりの開幕戦の勝利がエースの右腕にかかる。西武は昨年に続き2度目の高橋光成(同:1勝)と、こちらも昨季と同じ顔合わせになった。昨季の開幕戦では高橋に軍配が上がったが、山本が沢村賞投手の意地を見せるか――。

楽天は2年ぶり7度目となる則本昂大(同:3勝2敗)が大役を任された。9年ぶりのリーグ制覇と日本一へチームに勢いをもたらす投球ができるか。ロッテは先発ローテの柱として期待される佐々木朗希、昨季ロッテ投手陣で唯一規定投球回に達し、初の二桁勝利を挙げた小島和哉も考えられたが、2年ぶり3度目となる石川歩(同:勝ち負けは付いていない)が開幕マウンドに上がる。

ソフトバンクの藤本博史新監督は、6年連続で二けた勝利を挙げている千賀滉大(同:勝ち負けは付いていない)に3年ぶり3度目となる開幕戦の先発マウンドを託す。開幕投手発表のトリを飾った日本ハム。順当なら昨季12勝(防御率はリーグ3位の2.81)を挙げた上沢直之だったろうが、新庄監督はドラフト8位ルーキーの北山亘基を指名。サプライズな選手起用で、新庄劇場が幕を開ける。

監督の明確な意図

監督にとって開幕投手の人選は、絶対的なエースがいる場合を除いて頭を悩ます問題であるだろう。勢いのある若い投手を抜擢したいと思いつつも、実績のある投手への遠慮も頭をもたげる。またベテランの経験を買うこともあるだろうし、若手に大舞台を経験させ、成長への糧にしたいという思惑が働く場合もあるだろう。そこには“今季をどう戦うか”についての監督の明確な意図がこめられている。

『プロ野球「経営」全史』

プロ野球の通史

<はじめに>の文中に「野球の本でありながら、もの干し竿の藤村も、赤バットの川上も、青バットの大下も、長嶋の天覧試合のホームランも、江夏の二一球も、イチローも松井秀喜も大谷翔平も登場しない」とある。プロ野球球団の経営者の立場から野球史を綴るノンフィクションである。

野球というスポーツの日本伝来から始まり、1920年に日本初のプロ野球球団となる「日本運動協会」が誕生し、1936年には日本野球機構の前身である日本職業野球連盟が発足し現在に至るまでを、経営者やスポンサーの動向を中心に、時には政治家の動きを交え、興味深いエピソードをふんだんに盛り込み、プロ野球の通史として描いている。

日本野球の祖

プロ球団の経営史であるのに、日本への野球伝来から起筆した理由を、「最初から野球と鉄道は関係が深かったと分かった」からと、筆者は<あとがき>で述べている。日本のプロ野球では親会社が鉄道会社であることが、消滅した球団を含めて多い。野球も鉄道も1872(明治5)年に日本に伝わり、日本においてはそれらの歴史は同じ年に始まった。その前年に渡米し、ベースボールを知り、有能な鉄道技師となって帰国した平岡凞(ひらおか・ひろし)が1878(明治11)年に結成したのが日本最初の野球チームである「新橋アスレチックス倶楽部」である。平岡は「日本野球の祖」として野球殿堂入りしている。

短命の黎明期の3球団

学生スポーツとしての野球は明治20年代から30年代にかけて盛んになっていき、1915(大正4)年に現在の夏の甲子園の前身にあたる全国中等学校優勝野球大会が始まり、1925年に東京六大学が発足する。ちょうどその中間の年である1920年に、早稲田大学野球部OBの河野安通志、押川清、橋戸信により日本初の職業野球チーム「日本運動協会」が設立される(芝浦球場を本拠地としていたので「芝浦協会」とも呼ばれる)。

1921年には女性奇術師・松旭斎天勝(しょうきょくさいてんかつ)の夫で一座の支配人である野呂辰之助が「天勝野球団」を結成。両球団とも消滅した1924年に、阪急・東宝グループの創始者である小林一三が日本運動協会を引き継いだ「宝塚運動協会」を設立。5年後には宝塚運動協会も解散と、日本の職業野球の黎明期に誕生した3球団はいずれも短命に終わる。それを著者は「野球に限らず、スポーツを職業とする、つまりスポーツで金を儲けることはタブー視されていた。異常なまでにアマチュア精神が肥大化していたのだ」と分析している。明治の終わりには野球害毒論争が起き、舶来のスポーツに対する拒否反応があったことも一因だろう。

虎ノ門事件と正力松太郎

そんな日本の精神風土に抗い、日本にプロ野球をつくったのが、“プロ野球の父”と称される正力松太郎だ。正力とプロ野球との邂逅はある事件に起因する。1923年、皇太子裕仁新王(後の昭和天皇)が帝国議会の開院式に出るために自動車で皇居に向かっている途中、虎ノ門を通ったときに狙撃される事件が起きた(いわゆる「虎ノ門事件」である)。

暗殺は未遂に終わったが、この皇族テロに山本権兵衛内閣は総辞職し、警備責任者である警視総監・湯浅倉平と警視庁警務部長・正力松太郎は懲戒免官となった。同時期に読売新聞社は経営危機に陥っていたが、正力松太郎も失業する。著者は「この偶然が日本野球史を変える」と書き記す。経営危機に陥っていた読売新聞社を買収した正力は、野球には詳しくなかったが、日米野球を通じて野球の興行ビジネスとしての可能性を見い出し、1934(昭和9)年に「大日本東京野球倶楽部」を設立する。今の「読売巨人軍」である。

日本最古の球団

現存している日本最古の球団はどこなのか? 通説では1934年に設立された巨人である。巨人の球団ロゴマークにもいつしか「1934」という数字が入り、<我こそがNPB誕生前から存在した日本球界最古の球団なり>とさりげなくアピールしている。だが著者は、「一九三六年から現在まで親会社が一貫しているのは阪神だけだ(阪急と経営統合してはいるが)。最初の球団とされる巨人軍は実は経営母体が一貫していない。三六年の東京巨人軍の経営母体は、株主のなかに正力松太郎の名はあるが読売新聞社の名はなく、(中略)中心になる企業のない会社だった」と指摘する。

また巨人は1936年4月に日本職業野球連盟が主催した最初のリーグ戦には、アメリカ遠征に出ていて参加していない。「日本のプロ野球は読売巨人軍が牽引してきたかのように語られるが、それは読売・巨人中心史観の立場から見方に過ぎない。阪神タイガースこそが一九三六年から二〇二一年までの八五年間にわたり、変わらず姿を球史に刻み続けているのだ」と、東京生まれの阪神ファンである著者は主張している。巨人と阪神の“伝統の一戦”は、東京対大阪という構図だけでなく、最古の球団の座を争うチームによる歴史と因縁の激突とみると、より一層興趣が湧く。

多士済済

プロ野球の波乱万丈の長い歴史の中で、様々な人物が登場する。高利貸しで、銀座のキャバレー経営者であり、「暴力団とも関係があったらしいが、その真偽も分からない」織手登。織手は西園寺公一を経営破綻寸前のセネタースの会長に祭り上げ、集まった資金を持ち逃げしようと画策したようだ(その企ては失敗し、セネタースは東急に身売りする)。

東急によるセネタースの買収劇に関わった浅岡信夫は、元サイレント映画のスターで、戦後すぐに参議院議員となる。児玉誉士夫に近い辻嘉六の懐刀とも知られた「闇の世界にも強い」人物だ。

戦後、テレビやラジオの野球解説で有名になる小西得郎は、野球をしたいという理由で明治大学に進学し、東京六大学で活躍。大学卒業後は上海へ渡り、アヘンの密売で儲けた。軍隊生活の後、密売で儲けた資金で神楽坂の置屋の主人になったという「ひとことでは言い表せない人物」である。小西は大東京軍の3代目監督やスポンサー探し、また戦後は、セネタースの身売りに一役買い、松竹ロビンスの初代監督も務めた。

映画会社がプロ野球に参入するきっかけをつくり、大言壮語ゆえに“ラッパ”と称された永田雅一。「いい意味でも悪い意味でも、何をやらかすか分からない男として、映画界に隠然たる力を持つようになっていった」永田は大映を創立後、1948年に東急との共同経営の球団「急映フライヤーズ」でプロ野球界に参入。シーズン終了後に、「金星スターズ」を買収し「大映スターズ」が誕生。永田は単独でプロ球団を持つに至った。その後、テレビの普及に伴い、映画産業は衰退し、大映は映画会社大手五社の中でもっとも業績が悪化した。永田は“昭和の妖怪”岸信介を通じて、ロッテの創業者である重光武雄と知遇を得、球団をロッテに売却し、やがてはプロ野球から退く。こういう一癖も二癖もある人物が跳梁跋扈していた史実も浮き彫りにされている。

労作にして力作

1947年のわずか1年で消滅したもう一つのプロ野球ともいえる国民リーグ――。「正力三大宣言」により、1950年に2リーグ制へと移行するが、このとき阪神は在版私鉄を裏切り、セントラル・リーグに加盟――。映画産業が斜陽化し、大映、松竹、東映といった映画会社のプロ野球からの撤退――。国鉄→産経新聞社→ヤクルトという共産党・陸軍の複雑な人脈でのリレー――。実質上の昭和最後の年である1988年の同じ日に身売りを発表した関西私鉄の阪急と南海――。2004年の近鉄球団売却に端を発するプロ野球再編問題――。21世紀にはソフトバンク、DeNA、楽天といったIT業界で急成長した企業がプロ野球界へ参入を果たした。それらの動向についても詳細に述べられている。

筆者かねてより戦前、戦後間もなくのプロ球界の合従連衡を知りたいと思っていた。本書を偶然書店で見かけ、その存在を知った。「プロ野球・オーナー会社一覧」や「プロ球団変遷図」、略年表も多く掲載されており、事典としても重宝する。日本のプロ野球の歴史を球団経営者の立場から描く試みは本邦初ではないだろうか。そこにはこの一世紀弱の日本社会の変遷も見て取れる。プロ野球史に残る名選手も名勝負も出てこないが、プロ球団の経営に四苦八苦しながら奔走する経営者の“熱い闘い”が活写されている。多くの資料を渉猟した労作であると同時に、プロ球団の経営史が一気通貫で描かれている力作である。

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