日本シリーズ2021総括

日本シリーズ史に残る接戦

史上初の前年最下位チーム同士の対戦となった今年の日本シリーズ。6戦のうち、1点差ゲームが5試合、残りの1試合も2点差という日本シリーズ史に残る接戦を制し、ヤクルトが20年ぶりの日本一に輝いた。双方とも下剋上を果たしたチームらしく、崖っぷちに追い詰められても盛り返す強靭なメンタリティがあった。

勝利の方程式が崩壊

オリックスは初戦、吉田正尚のサヨナラヒットで制し、最高のスタートを切った。ヤクルトからすると、一番打たれてはいけない選手に手痛い一打を浴び、自慢の“勝利の方程式”がいきなり崩壊。八回を託された清水昇は無失点に抑えはしたものの被安打1、与四球1。1イニングに33球を費やし、本調子ではなかった。守護神スコット・マクガフにいたっては一死も取れずに3失点と炎上。先発投手陣で最も勝ちを計算できる奥川恭伸で初戦を落とし、高津臣吾監督は4連敗を覚悟したのではないか。

史上初の快挙

ところがどっこい、第2戦先発の高橋奎二が史上13人目となる日本シリーズ初登板初完封。公式戦で完封がなかった投手の日本シリーズ初登板初完封は史上初の快挙で、これで潮目が明らかに変わった。この想定外の高橋の快投により中嶋聡監督のコンピューターに狂いが生じたのか、第3戦以降の継投が後手に回った感がある。

シリーズの流れが決まる

オリックスにとって、致命的だったのが第3戦の敗戦だ。杉本裕太郎のシリーズ初本塁打となる同点2ラン、吉田正の適時打で勝ち越しながら、七回のホセ・オスナの2ランで痛恨の逆転負け。今度はオリックスの攻撃の“勝利の方程式”が打ち砕かれ、シリーズの流れが決定付けられた。第2戦の高橋の快投でリードに自信を深めた中村悠平は、第4戦はシーズン4勝の石川雅規を6回1失点、第5戦はシーズン3勝の原樹理を5回途中2失点、第6戦はシーズン4勝の高梨裕稔を4回途中1失点と、先発投手を好リードし、ヤクルトが主導権を握った。

ミスが命取りに

オリックスも1勝3敗で後がなくなった第5戦に、アダム・ジョーンズの値千金の代打本塁打で勝ち越すなど土壇場での粘りを見せたが、ミスが命取りになった。第2戦の九回の杉本の失策絡みの失点は、高橋の出来を考えれば、ダメ押しといえた。第6戦の十二回。この回を抑えれば、負けはなくなるという状況で、二死一塁から伏見寅威の捕逸。川端慎吾の単打で二塁走者が生還し、勝ち越し点を許した。ヤクルトにも失策による失点はあったが、オリックスの失点のほうがダメージが大きかった。

二死からの粘りの攻撃

ヤクルトの攻撃に目を向ければ、本塁打でも適時打でも点を取れるしぶとさが光り、リーグトップを誇る625得点の攻撃力を証明した。今季CSを含め16連勝中だった沢村賞投手・山本由伸から第1戦と第6戦の2度とも先制点を挙げ、試合の主導権を渡さなかった。加えて、このシリーズで挙げた総得点19点のうち10点が二死から、第2、3、6戦は全得点を二死から挙げ、粘りのある攻撃がオリックス投手陣を苦しめた。

日本シリーズ仕様の投手起用

今季はレギュラーシーズンは九回で打ち切りだったため、最終回から逆算して救援陣を起用できたが、日本シリーズでは延長戦があり、投手の起用法を変えざるを得ないケースがあった。第2戦で8回を投げ終わった高橋の投球数は122球。CSを含めて最多投球数は122球、最長イニングは8回の高橋を9回も続投させたが、このリスクを背負った大英断が吉と出た。第3戦は七回、ドミンゴ・サンタナの2ランで逆転後、八回は清水ではなく、七回の二死満塁のピンチを切り抜けた石山泰稚を続投させた。石山は八回を三者凡退に抑え、最終回のマクガフにつないだ。第6戦は十回途中から登板したマクガフが回またぎで十二回まで投げきった。レギュラーシーズンは回またぎがなく、1イニングが最長だったマクガフの“日本シリーズ仕様”の起用。臨機応変の投手起用においては高津監督のほうが一枚上手だった。

勝者と敗者を分けたもの

第4戦で勝ち投手になった石川、第6戦で勝ち越し打の川端、日本シリーズMVPに輝いた中村は、2015年の日本シリーズの主力メンバーだった。一方のオリックスは若手にミスが目立った。今年の日本シリーズの勝者と敗者を分けたもの――。それは6年ぶりに日本シリーズに出場したチームと、25年ぶりに日本シリーズに出場したチームの経験値だったのかもしれない。

日本シリーズ2021

史上初の対戦

今年の日本シリーズはオリックス-ヤクルトという2年連続最下位からペナントレースを制したチーム同士の顔合わせになった。日本シリーズでの前年最下位のチーム同士の対戦は史上初となる。オリックスの最後の日本一は96年、ヤクルトは01年と両球団ともに久しく日本一から遠ざかっている。山本由伸と宮城大弥という左右のWエースを擁するオリックスが有利という声があるが、頂上決戦ではどちらに軍配が上がるのだろうか。

1978年の対戦

両球団の日本シリーズでの対戦は、1978年(オリックスは阪急時代)と95年の2度あるが、両年ともヤクルトが勝っている。78年は3年連続日本一の阪急が有利との前評判も、抑えのエース・山口高志をケガで欠き、苦戦を強いられた。名将・広岡達朗監督の下、王者と互角の勝負を演じたヤクルトが球団創立以来初の日本一に輝く。第7戦ではヤクルト・大杉勝男の左翼ポール際への打球の判定を巡り、阪急・上田利治監督の1時間19分にも及ぶ抗議もあり、因縁めいた結末となった。

1995年の対戦

95年は“ID野球”対“仰木マジック”という構図だった。抑えのエースとしてシーズン中、大車輪の働きをした平井正史が調子を落とし、オリックスは劣勢になった。3連敗で迎えた第4戦、九回の小川博文の同点ソロと延長十二回のD・Jの勝ち越しソロで、かろうじて4連敗を免れたが、オリックスはこの1勝に終わった。黄金期を築いていた西武を破っての日本一の経験がある野村ヤクルトが地力で勝った。

イチロー封じ

95 年のシリーズで野村ID野球の真価が発揮されたのがイチロー対策だ。「イチローが活躍すると、球場の雰囲気やオリックスのムードも盛り上がる」ため、バッテリーの4日間のミーティングのうち、イチロー対策に1日を費やしたようだ(『Sports Graphic Number PLUS July 2020』の「ID野球の勝利宣言」より)。イチローはこのシリーズで19打数5安打(2割6分3厘)、1得点2打点4三振に抑え込まれ、オリックスの敗因のひとつとなった。

浅からぬ因縁

96年の球宴では打者・松井秀喜(巨人)に対して、全パ・仰木彬監督はイチローを投手として起用。全セ・野村克也監督は、松井に代打に送り、仰木采配を暗に批判。そのとき代打に送られたのが、現ヤクルト監督の高津臣吾というのも何かの縁だろうか。01年にはオリックスが愛称を受け継ぐ、近鉄バファローズの日本一の最後のチャンスをヤクルトが阻止。リーグを別にしながらも浅からぬ因縁がある。

吉田正対ヤクルト投手陣

今季のオリックスで前回シリーズでのイチローに相当するのは吉田正尚だ。今季、本塁打王になった杉本裕太郎が「日本一の打者だと思っている」と全幅の信頼を寄せるように、オリックス攻撃陣の精神的な支柱である。10月に死球で骨折し今季は絶望と思われたが、奇跡的な回復力でCSファイナルステージにはスタメンに名を連ねた。

今季のオリックスは吉田正が出場した110試合で55勝40敗15分け(勝率5割7分9厘)、欠場した33試合で15勝15敗3分け(勝率5割)。吉田正の存在は大きい。高津監督は95年のシリーズで3試合に登板。2勝1セーブを挙げ、胴上げ投手になっている。現役選手としての実体験があるだけに短期決戦で敵軍のキーマンを封じ込めることの重要性を熟知しているだろう。吉田正対ヤクルト投手陣――。それはシリーズの勝敗を決するポイントのひとつである。

余談

1950年に2リーグに分立してから昨季まで、前年最下位からのリーグ優勝は5度有った。60年の大洋、75年の広島、76年の巨人、01年の近鉄、15年のヤクルトである。そのうち日本一になったのは大洋のみである。54年から6年連続で最下位だった大洋は、3年連続で巨人を倒し西鉄を日本一に導いた魔術師・三原脩を招聘。三原監督はNPB初の快挙を成し遂げた。その卓越した手腕は”三原マジック”といわれるゆえんだ。その系譜を受け継ぐ、オリックス・中嶋聡監督の采配にも注目だ。