日本シリーズ2021

史上初の対戦

今年の日本シリーズはオリックス-ヤクルトという2年連続最下位からペナントレースを制したチーム同士の顔合わせになった。日本シリーズでの前年最下位のチーム同士の対戦は史上初となる。オリックスの最後の日本一は96年、ヤクルトは01年と両球団ともに久しく日本一から遠ざかっている。山本由伸と宮城大弥という左右のWエースを擁するオリックスが有利という声があるが、頂上決戦ではどちらに軍配が上がるのだろうか。

1978年の対戦

両球団の日本シリーズでの対戦は、1978年(オリックスは阪急時代)と95年の2度あるが、両年ともヤクルトが勝っている。78年は3年連続日本一の阪急が有利との前評判も、抑えのエース・山口高志をケガで欠き、苦戦を強いられた。名将・広岡達朗監督の下、王者と互角の勝負を演じたヤクルトが球団創立以来初の日本一に輝く。第7戦ではヤクルト・大杉勝男の左翼ポール際への打球の判定を巡り、阪急・上田利治監督の1時間19分にも及ぶ抗議もあり、因縁めいた結末となった。

1995年の対戦

95年は“ID野球”対“仰木マジック”という構図だった。抑えのエースとしてシーズン中、大車輪の働きをした平井正史が調子を落とし、オリックスは劣勢になった。3連敗で迎えた第4戦、九回の小川博文の同点ソロと延長十二回のD・Jの勝ち越しソロで、かろうじて4連敗を免れたが、オリックスはこの1勝に終わった。黄金期を築いていた西武を破っての日本一の経験がある野村ヤクルトが地力で勝った。

イチロー封じ

95 年のシリーズで野村ID野球の真価が発揮されたのがイチロー対策だ。「イチローが活躍すると、球場の雰囲気やオリックスのムードも盛り上がる」ため、バッテリーの4日間のミーティングのうち、イチロー対策に1日を費やしたようだ(『Sports Graphic Number PLUS July 2020』の「ID野球の勝利宣言」より)。イチローはこのシリーズで19打数5安打(2割6分3厘)、1得点2打点4三振に抑え込まれ、オリックスの敗因のひとつとなった。

浅からぬ因縁

96年の球宴では打者・松井秀喜(巨人)に対して、全パ・仰木彬監督はイチローを投手として起用。全セ・野村克也監督は、松井に代打に送り、仰木采配を暗に批判。そのとき代打に送られたのが、現ヤクルト監督の高津臣吾というのも何かの縁だろうか。01年にはオリックスが愛称を受け継ぐ、近鉄バファローズの日本一の最後のチャンスをヤクルトが阻止。リーグを別にしながらも浅からぬ因縁がある。

吉田正対ヤクルト投手陣

今季のオリックスで前回シリーズでのイチローに相当するのは吉田正尚だ。今季、本塁打王になった杉本裕太郎が「日本一の打者だと思っている」と全幅の信頼を寄せるように、オリックス攻撃陣の精神的な支柱である。10月に死球で骨折し今季は絶望と思われたが、奇跡的な回復力でCSファイナルステージにはスタメンに名を連ねた。

今季のオリックスは吉田正が出場した110試合で55勝40敗15分け(勝率5割7分9厘)、欠場した33試合で15勝15敗3分け(勝率5割)。吉田正の存在は大きい。高津監督は95年のシリーズで3試合に登板。2勝1セーブを挙げ、胴上げ投手になっている。現役選手としての実体験があるだけに短期決戦で敵軍のキーマンを封じ込めることの重要性を熟知しているだろう。吉田正対ヤクルト投手陣――。それはシリーズの勝敗を決するポイントのひとつである。

余談

1950年に2リーグに分立してから昨季まで、前年最下位からのリーグ優勝は5度有った。60年の大洋、75年の広島、76年の巨人、01年の近鉄、15年のヤクルトである。そのうち日本一になったのは大洋のみである。54年から6年連続で最下位だった大洋は、3年連続で巨人を倒し西鉄を日本一に導いた魔術師・三原脩を招聘。三原監督はNPB初の快挙を成し遂げた。その卓越した手腕は”三原マジック”といわれるゆえんだ。その系譜を受け継ぐ、オリックス・中嶋聡監督の采配にも注目だ。

杉本裕太郎、初キング

青学コンビ

今季32本のアーチを描き、初めて本塁打王のタイトルを獲得したオリックス・杉本裕太郎。2学年下の吉田正尚との“青学コンビ”で打線を牽引し、チームの25年ぶりのリーグ制覇の立役者の一人となった。

吉田正がドラフト1位で入団した2015年に球団の最終指名となるドラフト10位でプロ入り。昨季まで5年間の通算成績は47安打(9本塁打)だった。17年のシーズン成績は2安打のうち本塁打が1本。18年は3安打(2本塁打)、19年は8安打(4本塁打)とパワーは誰しも認めるところだったが、粗さが同居していた。

長打力と確実性の二兎

昨季それまでで最多の41試合に出場。本塁打は2本に終わったが、2割6分8厘の打率を残し飛躍のかすかな萌芽はあった。今季は134試合の出場で144安打を放ち、初めて規定打席に到達。打率.301(リーグ3位)、長打率.552(吉田正に次ぐ同2位)と長打力と確実性の二兎追うことに成功した。

5月11日の日本ハム戦では、杉本の入団時にオリックスのエースだった金子弌大から東京ドームの看板直撃の特大弾を放ち、賞金100万円を獲得するとともに、かつての沢村賞投手に成長した姿を見せた。オールスターにも監督推薦で初出場。第2戦で中日のエース・柳裕也から本塁打を放ち、敢闘選手賞を受賞した。シーズン中何度か2割台に打率を下げたが、最終的には3割をキープ。そこにも進化の跡があった。

チームの攻撃力アップ

開幕戦の打順は6番。4月まではスタメンから外れることも多かったが、5月には4番に定着。中嶋聡監督はシーズン序盤、吉田正を2番に起用するなど打順を試行錯誤していたが、杉本の潜在能力が開花したことにより、吉田正を3番に固定。後ろに杉本がいることで相手バッテリーは吉田正との勝負を避けることができなくなり、吉田正は昨季より10試合少ない出場試合数ながら、打点は昨季64→今季72、本塁打は昨季14→今季21に増えた。昨季は吉田正の孤軍奮闘の感があったオリックスだが、チームの得点は昨季442(リーグ6位)→今季551(同3位)、チームの本塁打数は昨季90(同4位)→133(同1位)。相乗効果でチームの攻撃力は大きく向上した。

球団からの本塁打王は10年のT-岡田以来。日本人選手の3割30本以上は89年の門田博光以来となる。生え抜き選手だと、前身の阪急時代の87年に石嶺和彦がマークして以来となり、球団やファンが待ち望んだ確実性を兼ね備えた和製スラッガーの誕生だった。

ラオウの昇天ポーズ

昨季2軍監督だった中嶋監督は監督代行になった際に、打率が1割台の中川圭太を4番に据えるなど若手を大胆に抜擢した。杉本もその“中嶋チルドレン”の一人。今季は期待に見事に応え、恩返しをした。その恩師を再び胴上げする大きな仕事が残っている。本塁打を放った後のラオウの昇天ポーズはオリックスファン以外にも認知度は着々と高まっている。ポストシーズンでも杉本が拳を突き上げるシーンが増えれば、次なる目標である25年ぶりの日本一は俄然現実味を帯びてくる。