史上初の対戦
今年の日本シリーズはオリックス-ヤクルトという2年連続最下位からペナントレースを制したチーム同士の顔合わせになった。日本シリーズでの前年最下位のチーム同士の対戦は史上初となる。オリックスの最後の日本一は96年、ヤクルトは01年と両球団ともに久しく日本一から遠ざかっている。山本由伸と宮城大弥という左右のWエースを擁するオリックスが有利という声があるが、頂上決戦ではどちらに軍配が上がるのだろうか。
1978年の対戦
両球団の日本シリーズでの対戦は、1978年(オリックスは阪急時代)と95年の2度あるが、両年ともヤクルトが勝っている。78年は3年連続日本一の阪急が有利との前評判も、抑えのエース・山口高志をケガで欠き、苦戦を強いられた。名将・広岡達朗監督の下、王者と互角の勝負を演じたヤクルトが球団創立以来初の日本一に輝く。第7戦ではヤクルト・大杉勝男の左翼ポール際への打球の判定を巡り、阪急・上田利治監督の1時間19分にも及ぶ抗議もあり、因縁めいた結末となった。
1995年の対戦
95年は“ID野球”対“仰木マジック”という構図だった。抑えのエースとしてシーズン中、大車輪の働きをした平井正史が調子を落とし、オリックスは劣勢になった。3連敗で迎えた第4戦、九回の小川博文の同点ソロと延長十二回のD・Jの勝ち越しソロで、かろうじて4連敗を免れたが、オリックスはこの1勝に終わった。黄金期を築いていた西武を破っての日本一の経験がある野村ヤクルトが地力で勝った。
イチロー封じ
95 年のシリーズで野村ID野球の真価が発揮されたのがイチロー対策だ。「イチローが活躍すると、球場の雰囲気やオリックスのムードも盛り上がる」ため、バッテリーの4日間のミーティングのうち、イチロー対策に1日を費やしたようだ(『Sports Graphic Number PLUS July 2020』の「ID野球の勝利宣言」より)。イチローはこのシリーズで19打数5安打(2割6分3厘)、1得点2打点4三振に抑え込まれ、オリックスの敗因のひとつとなった。
浅からぬ因縁
96年の球宴では打者・松井秀喜(巨人)に対して、全パ・仰木彬監督はイチローを投手として起用。全セ・野村克也監督は、松井に代打に送り、仰木采配を暗に批判。そのとき代打に送られたのが、現ヤクルト監督の高津臣吾というのも何かの縁だろうか。01年にはオリックスが愛称を受け継ぐ、近鉄バファローズの日本一の最後のチャンスをヤクルトが阻止。リーグを別にしながらも浅からぬ因縁がある。
吉田正対ヤクルト投手陣
今季のオリックスで前回シリーズでのイチローに相当するのは吉田正尚だ。今季、本塁打王になった杉本裕太郎が「日本一の打者だと思っている」と全幅の信頼を寄せるように、オリックス攻撃陣の精神的な支柱である。10月に死球で骨折し今季は絶望と思われたが、奇跡的な回復力でCSファイナルステージにはスタメンに名を連ねた。
今季のオリックスは吉田正が出場した110試合で55勝40敗15分け(勝率5割7分9厘)、欠場した33試合で15勝15敗3分け(勝率5割)。吉田正の存在は大きい。高津監督は95年のシリーズで3試合に登板。2勝1セーブを挙げ、胴上げ投手になっている。現役選手としての実体験があるだけに短期決戦で敵軍のキーマンを封じ込めることの重要性を熟知しているだろう。吉田正対ヤクルト投手陣――。それはシリーズの勝敗を決するポイントのひとつである。
余談
1950年に2リーグに分立してから昨季まで、前年最下位からのリーグ優勝は5度有った。60年の大洋、75年の広島、76年の巨人、01年の近鉄、15年のヤクルトである。そのうち日本一になったのは大洋のみである。54年から6年連続で最下位だった大洋は、3年連続で巨人を倒し西鉄を日本一に導いた魔術師・三原脩を招聘。三原監督はNPB初の快挙を成し遂げた。その卓越した手腕は”三原マジック”といわれるゆえんだ。その系譜を受け継ぐ、オリックス・中嶋聡監督の采配にも注目だ。