辰年の竜

88年はリーグ制覇

 十二支の辰のシンボルである空想上の生き物「竜」。辰年の今季、中日はどのような戦いを見せるのだろうか。これまでの辰年の戦績は、1940年は5位、52年は3位、64年は最下位、76年は4位と振るわなかったが、88年に闘将・星野仙一監督の下、リーグ制覇をしてから2000年は同じ指揮官の下、12年は高木守道監督の下で2位と、好成績が続いている。

強固なディフェンス

 21世紀に入ってからの中日は落合博満監督が指揮を執った04~11年はすべてAクラス。リーグ優勝4回、日本一1回と黄金時代を築いた。しかし、同監督の退陣以降は20年(3位)を除き、すべてBクラス、立浪和義監督が就任した22年から2年連続最下位と低迷している。強化ポイントははっきりしている。22年のチーム防御率は3.28、翌年は3.08でともにリーグ2位。22年のチーム失点は495(リーグ2位)、翌年は498(同3位)。ディフェンスは強固だ。

弱いオフェンス

 一方、22年はチーム本塁打と四球がリーグ最少。翌年はその2部門に加え、打率、長打率、出塁率もリーグワースト。22年のチーム得点は414点、翌年は390点で、ともにリーグワースト。22年のチーム本塁打62本はリーグ優勝したヤクルトの約3分の1、日本人選手のシーズン最多本塁打記録を更新する56本を放った村上宗隆のほぼ一人分だった。22年の414得点はリーグ5位の阪神に75点差、23年の390点はリーグ5位の広島に103点差と水をあけられている。得点力の弱さが順位に直結している。

攻撃力の強化を図るも

 昨季も攻撃力の強化を図ったが、主軸想定のアリスティデス・アキーノは20試合の出場で打率1割5分4厘、1本塁打、6打点。18年に打率3割2分1厘、77打点、15本塁打の成績を残し、3年ぶりに復帰したソイロ・アルモンテも28試合で1割8分9厘、1本塁打、2打点と期待外れに終わり、退団した。

明るい材料も

 明るい材料もあった。高卒4年目の岡林勇希が初のフルイニング出場。49年に西沢道夫がつくった25戦連続を抜く、29試合連続安打の球団記録を達成し、球団史に名を刻んだ。現役ドラフトでDeNAから加入した細川成也が140試合の出場で、打率2割5分3厘、24本塁打、78打点をマーク。安打と本塁打、打点でDeNA在籍の6年間の通算成績を上回る大ブレーク。14年目のベテラン大島洋平は、史上55人目、中日では7人目となる2000安打を達成した。

新戦力が起こす化学変化

 今季の戦いを見据え、積極的な補強をした。MLBで40本塁打のアレックス・ディカーソンと巨人を退団した中田翔を獲得し、大砲の役割を託す。加えて巨人から中島裕之、ソフトバンクから上林誠知、阪神から山本泰寛と、戦力外になった3選手を獲得。経験豊富な新戦力がチームにどのような化学反応を起こすのか注目だ。ダヤン・ビシエドは国内FA権を取得したことで日本人選手扱いとなり、外国人選手を1人多く使える。そのメリットをどう活かすのか――。中田とビシエドの併用を含めて、立浪監督の腕の見せどころである。

阪神の攻撃スタイルを参考

 広いバンテリンドームを本拠地とする中日は一発が少なく、得点力の低さの一因になっている。それならば同じ境遇の阪神の攻撃スタイルが参考になるのではないか。阪神のチーム四球数をみると、22年は358(リーグ3位)→23年は494(同トップ)。それにより出塁率も22年は3割1厘(同5位タイ)→23年は3割2分2厘(同トップ)と向上し、リーグ制覇の一因になった。岡田彰布監督は査定時に四球を安打と同等のポイントにするようにフロントに交渉したと伝わる。攻撃力を強化するための現場とフロントが一体になった取り組みが必要ではないか。3年契約の最終年となる立浪監督が、 “強竜復活”の狼煙を上げることができるか――。まずはCS進出を目指したい。

幻の御堂筋シリーズ

あと一歩で再現

 今年の日本シリーズの関西ダービーは昭和39年以来だったが、昭和48年もあと一歩でその再現となるところだった。パ・リーグはこの年から優勝決定シリーズ(プレーオフ)を実施。前期は南海が優勝、後期は阪急が制し、プレーオフでどちらが勝つにせよ、パ・リーグは関西の球団が日本シリーズに進出することが決まっていた。

三つ巴の戦い

 セ・リーグは8連覇中の巨人、御堂筋シリーズの年以来、リーグ優勝から遠ざかっていた阪神、昭和29年以来のリーグ制覇を狙う中日がシーズン終盤まで三つ巴の戦いを繰り広げていた。阪神が10月5日から甲子園で行われた中日との3連戦で3タテし、まず中日が優勝戦線から脱落した。

引き分けで優勝

 10月10日から始まった後楽園での巨人−阪神の首位攻防2連戦。阪神は第1ラウンドを田淵幸一の逆転満塁弾などで6-5で先勝し、巨人にゲーム差なしの1厘差で、8月30日以来の首位に返り咲いた。第2ラウンド、阪神は前日に救援で4回(無失点)を投げ、勝利投手になっていた江夏豊が先発。ニ回終了時で7-0と大差をつけたが、江夏は3回1/3・4自責点で降板。大量リードを守りきれず10-10の引き分け。同月14日は巨人と阪神ともに負け、ゲーム差は変わらず。翌日阪神は広島との最終戦を江夏の完投で制し、巨人とのゲーム差は0.5に。この時点で巨人・阪神ともに残り2試合で、阪神は1勝すればリーグ制覇。さらに阪神に追い風が吹いた。巨人は同月16日のヤクルト最終戦を落とし、阪神はいずれかの試合に引き分ければ優勝が決まった。覇権を手に入れたも同然だった。

「勝ってくれるな」発言

 阪神にとって129試合目となる10月20日の中日最終戦。事件が起きたのはその前日だった。阪神電鉄本社に呼び出された江夏は、長田睦夫球団代表と鈴木一男常務(肩書は共に当時)が待つ部屋に通され、「勝ってくれるな」と言われたと、『なぜ阪神は勝てないのか?』(岡田彰布・現阪神監督との共著)の中で述べている。さらに長田代表から「金田正泰監督も了解しているから」という驚愕の事実も告げられた。江夏はその理由を「勝てば選手の年俸はアップするし、金がかかるからな。優勝争いの2位が一番理想やったんやろうな」と推測している。怒り心頭の江夏はテーブルをひっくり返して帰ってきた、と続けている。それから名古屋入りした江夏は「先発は明日や」と伝えられたという。

相性が良くない中日に苦杯

 「当時、(上田)次朗は中日に8勝していて分がよかったのよ。私は3勝くらいで特に中日球場では勝ってなくて、あまり相性はよくなかった」(同書)。江夏は中4日で先発のマウンドに上がった。「本社の〈勝たんでくれ〉なんて言葉は無視やし頭にもない」(同書)状態だったが、6回3自責点で中日に苦杯を喫する。

雌雄を決する直接対決

 ペナントの行方は両チームにとってシーズン最終戦となる直接対決に持ち越された。先発は阪神が上田、巨人が高橋一三。シーズン22勝を挙げていた同士の対決となったが、上田は1回4自責点で早々と降板したのに対して、高橋一は完封。雌雄を決する’’伝統の一戦’’は0-9と阪神の完敗で終わった。

暴徒と化した虎ファン

 阪神ファンらは0-8となったラッキーセブンあたりから、優勝に備えて用意したテープや紙吹雪を投げて荒れ始めた。「試合終了と同時に、一塁側スタンドの阪神ファンが、ベンチに引き揚げる巨人選手目がけて一斉にグランドに乱入した。その数ざっと三千人」(昭和48年10月23日付朝日新聞)。そのうちの一部は三塁側スタンドで巨人応援団に殴りかかり、五百人ほどがネット裏の放送席へ押し寄せ、テレビ局のマイクを壊し、コードを引きちぎった。「この騒ぎで森捕手や王一塁手ら数人が殴られた」(同)と報じられた。金田監督は「情けない試合をして申し訳ありません。いまの気持ちは、みなさんと同じくらい泣きたいのです」(同)と心情を語った。